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2018/11/18

米寿


斯界の大御所、一柳定夫さんから電話があり、恵比寿駅ビルにある銀座ライオンに夕方五時に出頭せよ、という命令であります。

もちろん命令にはゼッタイに逆らえないから、いそいそと銀座ライオンへ出頭した。
初めて知ったのだが、ことしは一柳さんの米寿。出席していたメディアのOBや、スキー界の重慎たちと改めて一柳さんをお祝いした。

席上悲しい知らせも発表された。
中国に統合される前の香港に本社を持っていたリーベルマン・ウェルシュリーで長い間クナイスルやコフラック(ケフラッハ)、ゲッツェ、ケルマといったスキーブランドの輸入販売の総責任者だった山口部長が長い闘病生活の後、亡くなってしまったということだった。79歳。
出席者全員、何らかのかたちで山口部長にはお世話になっているはず。
故人を偲んで献杯した。
山口さんには、かつてWC取材時キッツビュールにある上海という中華料理屋でごちそうになったり、クナイスル本社の取材で大変お世話になった。

今夜は山口さんを偲んで、もういちど自宅で静かに献杯しようと思う。

photostream :
https://www.amazon.co.jp/photos/share/8BjOvCktCS5bPtHPjxEvZ3ChySvuPMrsULKMVWBXONm

2018/08/03

二人の佐藤

この春までスキーグラフィックの編集長を務めていた守屋さんから久しぶりに連絡あり。
「由比ヶ浜の久哉さんのところへかき氷を食べに行きましょ」
「ん?」
なんだかよくワカラナイが姐さんと鎌倉駅で落ち合って由比ヶ浜ウォーク。
佐藤久哉は1990年代にアルペンスキーWCや世界選手権にも出場し、後にSAJデモとして活躍した男。
青森出身の久哉が現役リタイヤ後沖縄に居住しているのは聞いていたのだが、まさか由比ヶ浜の一画で海の家をやっているとは知らなかった。ウリは地元沖縄産アセロラの果汁をたっぷりと使ったかき氷。とはいえ、いい年をしたオヂさんが海の家でアセロラのかき氷、というのも考えるだに気持ち悪い。そちらは姐さんに任せて不肖佐助庵は昼ビール。

で、ビールを求めて隣の店をのぞいたらあの佐藤譲そっくりな若者がテキパキと店を取り仕切っていた。まさか!とは思ったが「息子です」とのこと。雰囲気も話し方も譲そっくりの風体でびっくりした。
佐藤譲というのは1980年代後半にスラローマーとしてWCを転戦し、やはりその後基礎スキー界のトップとして君臨した佐藤譲のこと。現役引退後はGALA湯沢で、基礎スキーの全日本チャンピオンV2を果たした栗山未来を育て上げた名伯楽。

奇しくも由比ヶ浜の海、滑川(なめりがわ)のそばで店を並べることになった二人の佐藤はともに日本のスキー界のトップシーンを賑わしたけれども、姻戚関係は全くない。

photostream :
https://www.amazon.co.jp/photos/share/kusc77ns42vyaFoH9ukMvECqQu2nAJ7WMXiN7V4EmNE

2018/02/08

寒波襲来、なのだが……

大寒波のさなかノルン水上と菅平へ撮影行に行ってきた。
北陸の方でドカ雪が降っているというニュースに覚悟はしていたのだが案に相違して天候にめぐまれた。
 不肖佐助庵、水上温泉に泊まるのは生まれて初めて。
ホテルの窓からかつて頻繁に利用したなつかしい上越線を久しぶりに目にしたし、谷川岳も間近に見えて、学生だった頃、毎年上越線にのって天神平に初滑りに来たことがまざまざと思い出された。そういえばある年に東京にも大雪が降ったとき、上野駅の上越線のホームでスキー場へ行く夜行列車を待っている合間に、雪の積もった上野公園で仲間たちとスキーをするというバカ騒ぎもしたこともあった。

さほど寒くはなかったノルン水上から移動した菅平はなんと気温マイナス20度超
1月のヨーロッパを通じてもこんな冷たさは今季初。が、太陽が昇るにつれ気温もだいぶ上昇した。
といってもまだまだマイナス10度前後ね。

2017/12/29

バクダン低気圧

いって来ましたよお、バクダン低気圧で大荒れの小谷村、栂池高原。
年明け早々のシーズンインに備えて最終自主トレ決行です。
シンシンと降り積む雪ならいいのだけれども、ヒューヒューとふく風に運ばれてくる横なぐりの雪が止むことなく山を襲っています。

それでも、と外に出てみれば、リフト乗り場で「アーラ、むらさん」という声がして、誰だろうと振りかえったら松澤三千代。白馬高時代には全日本アルペンで二冠を獲得し、後にSAJデモとしても活躍したあの松澤三千代だった。もしかして二十年ぶりくらいの再会だったかもしれない。栂池スキースクールのスキー教師に復帰していて、今日も超初心者のおんなのこに優しくスキーを教えてあげていた。

雪降りは三日三晩続き、帰る頃になってようやく陽射しが顔を見せてくれた。
バスの運転手はうずたかく積もった雪を振り落とすのに余念がなく、そのそばを民宿のおかみさんが、車の屋根の雪はそのままにエイッヤーッとエンジンを吹かしながら坂を上っていった。活気ある村の情景がまたもどってきた。


日本一の豪雪地帯、陸の孤島として名を馳せた松之山育ちの佐助庵にしてみれば、ま、こんな情景も………「フツー」。
でも懐かしい。大雪でみんなドタバタしているというのに、なんだか幸せな気持ちにひたりながら栂池を後にした。

2017/09/12

藤井好直さん

きのう白馬村長谷寺(ちょうこくじ)で執り行われた、スキーグラフィックの名物編集長だった藤井好直さんの葬儀に参列してきた。
編集長時代にはいつも危機感を持ってスキー界に一家言を投じ続けてきた藤井さん
引退後は白馬に移り住んでいたのだった。

戒名は「好徳直真清居士」

2017/04/09

佐藤正人と吉田幸一

もう何年ぶりになるだろう、佐藤正人と吉田幸一の撮影で天元台に来ています。
二人とも1980年代に名機小賀坂スキーを駆使し、全日本のトップに君臨した名デモ中の名デモ。
かつては毎年春になるとニセコにこもり、別冊の撮影を重ねたものだった。
「流麗な」佐藤正人と「いぶし銀の」吉田幸一、壮年になってもそのスキーテクニックは相変わらず健在です。
宿は米沢の名湯、白布(しらぶ)温泉中屋別館不動閣。大正ロマンの香りが満ち満ちた昔ながらの温泉宿。
全長30メートル余になろうかという温泉に、たったひとりのんびりつかり、緩やかに流れる時間を感じています。

2017/01/31

妙高夕景

雪とガスに見舞われて撮影にはなかなか厳しい一日だったが、最後はきれいな夕焼けを魅せてくれた。

2017/01/30

シンシンと雪が降る……

さて、温泉、温泉

2016/05/22

memories of "shiga zin"

日本のスキージャーナリストの先駆者、志賀仁郎さんが84歳で亡くなってはや2ヶ月が過ぎた。
亡くなったのは奇しくも全日本スキー技術選の最終日だった。
日本のスキー界を憂い、いつも辛口の提言を発信し、またスキー技術の評論にも一家言持っていた志賀さんのことを、近しい者たちははんば親しみをこめて「シガジン」と呼んでいた。

昨日、白馬八方で行われた「志賀仁郎さんを偲ぶ会」に行ってきた。
志賀さんが愛用したニコンが特別にチューニングしたカメラ、それにFIS国際スキー連盟から顕彰されたトロフィが大きな遺影とならんで祭壇に置かれた会場にはスキー界の重鎮から若いスキー指導者たちまでが一堂に会し、さながら現代日本スキー界の縮図の様相。不肖佐助庵が存じ上げない顔など一人もいない会合だったから挨拶を交わす度に緊張の連続で、直会(なおらい)でいただいた酒の味などほとんど覚えていない。SAJ専務理事の古川年正さんとは数年ぶりに言葉を交わしたにもかかわらず、つい昨日会ったような気がした。最近世間を賑わした事件で連日大メディアに突っ込まれて苦渋の表情を浮かべて記者会見する古川さんの姿をTVのニュースで目にしていたからだった。

ダンディでフェミニストだったシガジンのこと、挨拶では艶っぽいはなしも出てきたのだったが、会場がおもわず和んだ1970年代、フランス黄金期に活躍した超美人レーサー、ファビアンヌ・セラの一件など明らかにほら話。佐助庵がシガジンから直接聞かされたオーストリアチームの女子レーサーとの一件など、当時大笑いしたものだった。だってレース会場で目にする件の女子レーサー、まさに男と見紛うほどの女丈夫。「日本男子の沽券にかかわって……」とシガジンは言っていたが、これもどう考えてもあり得ないほら話だった。さすがに、最後までシガジンに添い遂げられた夫人も会場で苦笑いしていらっしゃった。

帰途偶然ご一緒した平沢文夫さんともスキー技術のはなしが続きます。意外だったのはかつて日本のスキー技術を牽引した基礎スキー界の理論派、平沢さんにして「わたしは今も昔もスキー技術に関してはワールドカップレースの極限の技術しか見ない」という言葉。「ただみんなの理解のしかたが間違っている」と。そしてこまごました技術論を聞くにつけ、佐助庵も撮り終えた写真のチェックのときに同様のことを思っていたところもあって、まさか基礎スキー界きっての理論派から同じ言葉を聞くとは夢にも思わなかった。

帰り着いた鎌倉は突然の驟雨。
「ぼくのはなしはホントなんだよお」というシガジン猛抗議の涙雨だったかもしれません。

けさの佐助庵のアジサイ、ひとつだけ色づいてきました。

2016/03/21

春、鎌倉。

五竜岳
ようやく帰鎌倉。
今シーズンはかつて無いほどの雪不足だというのにどういうわけかドサまわりが続きました。

41年ぶりに開催されたワールドカップ苗場は西ヨーロッパや北米のWCコースと比べて遜色ないすばらしいコースができあがり、2レースとも順当に強豪たちが上位を席巻した。
5年前のあの日あの時と同様、その時刻も八方の雪の上にいて、彼の地に思いを馳せた。
10数年ぶりに訪れた野沢温泉は相変わらずのたたずまい。懐かしい顔にも会えたし、偶然杉山進さんとも挨拶できた。

久しぶりに腰を落ち着けることができた鎌倉は、すでに梅の花も散り早咲きの桜がそこここを彩っています。
昨年来修復工事の続いてきた鶴岡八幡宮参道の段葛(だんかずら)もようやくその姿を現し、高徳院大仏も大規模調査終了、以前に変わらず鋭いまなざしで訪れる善男善女を見守っています。本覚寺のお御堂はようやく外回りの大修理完了、大屋根の瓦が全て張り替えられて、真新しい瓦が織りなす美しい模様に目をうばわれてしまう。

いよいよ桜狂想曲の開演です。
しだれ桜 − 本覚寺 −

2015/12/28

さらばカマキン

カマキンというのは通り名。鎌倉近代美術館のこと。
正式には神奈川県立近代美術館 鎌倉というらしい。
ともかくそのカマキン、1月いっぱいで65年にわたる歴史に幕を閉じることとなった。
さして美術に興味があるわけではないが、きわめてときおり、ね。
美術館は鶴岡八幡宮の三の鳥居をくぐってすぐ左手、平家池に面していて
八幡さまには似つかわしくない白いモダンな建物。
設計した坂倉準三は東京、青山にある岡本太郎邸をも設計した人。
かつて岡本太郎を取材したときのことを思い出す。
緑に囲まれた岡本邸で、編集長のインタビューを終え、さて、撮影をというときになると、こちらのリクエストをいう間もあらばこそ、突然あのあまりにも有名な「芸術は爆発だ!」のポーズをとって撮影をうながされたのだった。
もちろんいろいろなシチュエーションでも撮影したのだけれど、結局メインで使用したのはあの「芸術は爆発だ!」。

岡本太郎とはその後、1964年の東京オリンピックのエンブレムやポスターを制作した亀倉雄策さんらと安比高原で早朝からスキーを楽しんでいるときに度々お見受けした。

2015/04/08

ブラボーブンタ引退記念パーティ

昨夜はブラボーブンタこと中島文夫さんの引退記念パーティ。
フリースタイルスキーの専門誌、ブラボースキー編集長を長年勤め上げてきた中島さんのこと、スキー界から、上村愛子、里谷多英、三浦豪太ら一世を風靡したモーグラーたちをはじめ、250名超の関係者が参集、ひと夜よき時代を懐かしんだのだった。

中島さん、これからいっしょに、たくさん遊ぼうぜ!
すぐタケノコだよ、タ・ケ・ノ・コ!

2015/03/17

技術選 − 白馬八方尾根 − (corrected 4/3 ; thanx moriya-san)

技術選の取材で白馬八方尾根。

技術選というのは全日本スキー技術選手権大会のこと。今年で52回目の開催。
いわゆるタイムを競うアルペンスキーとはちがって、緩急あらゆる難斜面を正確なスキー操作で滑り降りることが大切なポイントとなる。

女子は秋田県代表青森県代表の佐藤麻子(スイマセン間違えました)が安定したスキー操作で大会三連覇、男子は新潟県、柏木義之と地元の丸山貴雄が同ポイントで優勝した。男子優勝者が二人というのは、この大会の技術役員を務めているサブちゃんこと渡部三郎が同郷山形県の佐藤正人と優勝を分けあった1987年の24回大会以来のこと。会場は同じ八方尾根、至難の黒菱のコブを豪快な技で滑りきったサブちゃんと端正なスキー操作で観衆を魅了したマサト、まったく異なったふたりのスキーはいまだ脳裏に残ります。

さて男子優勝者の柏木義之、2004年の41回大会で2連覇を果たして以来3度目の優勝。妹の久美子は長野とソルトレイクシティ、2度のオリンピック出場を果たし、父親の柏木正義さんも札幌オリンピックに出場した。
一方大会4度目の優勝となった丸山貴雄も、1978年15回大会で2連覇を達成した故丸山隆文さんを父親にもつサラブレッド。奇しくも文字どおり新潟県と長野県のスキー一家が優勝を分けあった。

技術選は予選も含め5日間。出場する選手たちは強風や吹雪に翻弄されながらも長丁場を滑りきります。
最終日、こんなに天候がよかったのは何年ぶりのことだろう。ちょっと記憶にない。
1998年、長野冬季五輪、猛烈な雪降りの中で日本国中を感動の嵐に巻き込んだジャンプ団体競技の会場の向こうに五竜岳の武田菱もくっきりです。

2014/04/17

かぐらから谷川連峰を望む


今週はコブのメッカ、かぐらスキー場で名手粟野利信を撮影。
飛んでくる黄砂もなく谷川連峰もくっきりです。
スキーで山に入るけれども、登山指向はぜんぜんない。
だからかの一の倉沢がどこにあるのかサッパリわからない。

春たけなわ。山スキーによさげな斜面のあちこちに不気味な亀裂が現れます。雪崩の前兆。
くわばら、くわばら…。

2014/04/10

小野塚喜保さん

先日妙高赤倉で撮影した小野塚さん来鎌倉。
現役時代の思い出の逸品のスタジオ撮影。(あ、居間で撮影のことね)
スキーグラフィック編集長の守屋さんともどもの来訪です。

かつて小賀坂スキーチームのエリート集団、いわゆる「藤本厩舎」の中核メンバーとして一世を風靡した小野塚さんだから思い出の品々は山ほどある。
華麗なスキーシーンで表紙を飾ったスキーグラフィックをはじめとする数々のスキー誌、現役時代に身につけて大会に挑んだゼッケン(ビブ)、インタースキー代表として参加した当時のブレザーやスキーなどなど数え切れないくらいの、今となっては貴重な資料。
撮影するのも忘れてしばしバブルの時代のスキー界の思い出にふけったのでした。

それにしても別冊の撮影で毎年毎年ニセコにこもった日々を思い出す。
藤本厩舎のボス藤本進さんをはじめ、佐藤正人、渡部三郎、小野塚喜保、細野博、吉田幸一、石井俊一、出倉義克、関口淳、里吉敏章(すいません敬称略です)など、文字どおり当時のトップに君臨したデモたちが一堂に会して春のニセコの山々を縦横に駆けめぐったのだった。

一介のフォトグラファーがひとりで藤本さんを筆頭にトップデモの集団に対峙したのだから、こんなに緊張した撮影はなかった。どんなシーンを撮ったのかぜんぜん記憶に残ってない。
ただ一つ思い出すのは、どんな斜面であろうと藤本さんの鋭い号令一下、デモたちが寸分たがわず正確なスキー操作で滑ってくれたこと。どんな新雪だろうと、どんな悪雪だろうと、だ。急なコブ斜面だって瞬時に対応して軽快に滑ってくれたのだった。

あ、もうひとつ、ホテルのマネージャーが採って出してくれた、粉わさびをすり下ろしたひと皿。しょうゆをかけてアツアツのご飯といっしょに口に入れ、ツーンとした余韻に涙ぐみながら食べた朝食。ほかの食事はなにも記憶にないが、この時に味わった粉わさびだけは、二十数年たった今でも思い出す。

2014/04/04

白馬八方尾根スキー場から

白馬鑓ヶ岳 杓子岳 白馬岳

白馬八方尾根みたび。

先日の妙高赤倉では金子裕之と小野塚喜保、ちょーベテランふたりの撮影だった。
二人とも往年の名デモ。小野塚さんとはなんと25年ぶりというコラボレーション。かつては毎年、北海道のニセコでやった別冊の撮影でモデルになっていただいた。

一方ここ八方尾根では青木哲也とA1こと佐藤栄一、ばりばりの若手スキーヤーの撮影です。あさいちから黒菱のコブをばんばん滑らせたものだから若いふたりもいささかグロッキー気味か。
撮了したところでジャストタイミングの小雨模様。
これから帰鎌倉です。

2013/07/13

奥美濃しろとり

あ・つ・い…!
3日間ほどウィングヒルズのサマーゲレンデで岡田利修デモの撮影。
PISLABのサマーゲレンデでも利修のパワースキーは健在です。

炎天下のコースサイドではミツバチとヒョウモンチョウがアザミの蜜を求めて飛び交っている。


2013/05/26

月山

ほんとうに久しぶりの月山。
名手、粟野利信の特撮です。

雪に埋もれた冬から春真っ盛り、いや、夏へまっしぐらの月山、4月に真冬へ逆戻りしちゃった気候が続いたおかげで、スキーエリアのひろがる姥ヶ岳は全面まっ白。
かまびすしいウグイスの声をよそに、コブのロングコースが何本も延びている雪上ではそこかしこデモたちのレッスンが続きます。

宿への帰途、雲間からエアカーテンが降りていて、春の一日の幕引きです。






2013/04/09

ゴンドラ山頂駅から − 丸沼高原 −


白根山、燧ヶ岳(ひうちがたけ)、至仏山(いずれも日本百名山)
それにエメラルドグリーンの丸沼



2013/04/08

ダン"スィング" スカイ


日光白根山。
大荒れの列島をよそに、名峰をバックに名手、宮下征樹をシューティング。
夜来の雪でそこかしこまっ白です。





快晴の丸沼高原なれど時折突風が吹き通り
真っ青な空で雲が躍っています。