2020/11/10

鎮魂のカプルン

Kaprun, shooting on November 3, 2002

先日、朝日デジタルでもろもろチェックしていたらオーストリアのケーブルカー火災のコラムが目にはいった。犠牲になった当時猪苗代中学のスキー部に在籍していた息子が眺めた町をみたいと、家族が19年ぶりに現地に向かおうとしたがコロナ禍のせいで断念した、という記事だった。

事故が発生したのは2000年11月11日。
シーズン前の各国ナショナルチームのトレーニングバーンとして有名なキッツシュタインホルンの氷河へ上るケーブルカーがトンネルの中で火災を発生して155人の犠牲者がでたのだった。犠牲者の中には10人の日本人、トップデモだった出口沖彦と引率された9人のスキーキャンプ参加者が含まれていたのだった。
事故のことをあれこれ語るつもりはない。

………あれからもう20年も経つのか、と今さらながら驚いた。

無口だった出口沖彦の人なつっこい眼差しを思い出す。
インカレ時代からライバルだった金子裕之と出口、二人の名手を立山の雄山で撮影したことを思い出す。
雄山のバーンがあまりに広すぎて不肖佐助堂カメラを持っておたおたと右往左往。でも出口はなにも言わず、何度も何度も雄山の急斜面を歩いて上り、練達のスキーを見せてくれたのだった。
大鰐で開催された技術選の帰り、なぜか猪苗代にある出口の実家におじゃまして、母上お手製の黒糖蒸しパンをいただいたことを思い出す。
厳しい戦いを終えたばかりの出口だったのだが、自宅に落ちついて心底くつろいでホッとしていたあの表情が忘れられない。

今も、出口沖彦は愛娘を含めた9人の子供たちに優しい眼差しを向け、天国の雪の上で存分にスキーを楽しんでいるだろうか。